【ペルー】「世界の果てに、東出・ひろゆき置いてきた season2」のルート!ペルー編

ペルー

このページでは「世界の果てに、東出・ひろゆき置いてきた」で巡った街や訪れた場所を徹底調査してご紹介しています!

世界の果てに、東出・ひろゆき置いてきた」とは?

abemaで放送されているトラベル・バラエティ番組です。「日本一ロジカルな男」ひろゆきさんと、「人たらしな狩猟俳優」東出昌大さんが、所持金10万円、移動は陸路のみなどのルールを守りながらゴール地点を目指します。道中のトラブル、現地の人との交流、ディレクターの豊川さんとのやりとりなどにより緊張、笑い、感動が交叉する人気番組です。

ペルー基本情報

photo by Maik on Pixabay
首都:リマ
人口:約3400万人
面積:1,285,220km2
民族:メスティーソ45%、インディヘナ37%、ヨーロッパ系ペルー人15%、アフリカ系&アジア系ペルー人などその他3%
宗教:カトリック81%、プロテスタント12%

ペルーは太平洋に面した南米の国です。世界遺産のマチュピチュがある国として日本でも憧れの観光地として知られています。

山や海に囲まれた多様な気候と地形に豊富な食材が採れることや、歴史的な背景から様々な文化の影響を受けた調理法により、世界随一の美食の国とも言われています。

1分でわかるペルーの歴史

ペルーの歴史は、古代のインカ帝国にまで遡ります。インカ帝国(15~16世紀)はアンデス山脈を中心に広がり、効率的な農業、道路網、天文学、文化的統合で知られていました。しかし、1532年にスペインの征服者フランシスコ・ピサロが到来し、インカ帝国は滅亡しました。

その後、ペルーはスペイン植民地として統治され、現在の首都リマスペイン領アメリカの主要都市となりました。

1821年に独立運動が始まり、ホセ・デ・サン・マルティンシモン・ボリバルの指導のもと、ペルーは1824年にスペインから独立を果たしました。

独立後、ペルーでは軍事政権と民主政権が交互に現れ、安定を欠く時代が続きました。第二次世界大戦後の経済成長期には、鉱業や農業を中心に近代化が進みましたが、利益の大部分が都市部の富裕層や外資系企業に流れてしまうため、貧富の格差が拡大しました。

1980年代に入ると、マルクス主義毛沢東主義を掲げる左翼ゲリラ組織「センデロ・ルミノソ(輝ける道)」が活動を開始しました。特にアンデス山脈の農村地域を拠点に、政府に対する武力闘争を展開しました。センデロ・ルミノソは過激なテロ戦術を採用し、多くの市民が犠牲となりました。一方で、トゥパク・アマル革命運動(MRTA)という別の左翼ゲリラ組織も活動していました。


1980年代から1990年代にかけて、ペルー政府はゲリラとの戦いを強化しました。特に1990年代、アルベルト・フジモリ大統領の政権下では、軍や情報機関を利用したゲリラ掃討作戦が展開されました。1992年、センデロ・ルミノソの指導者アビマエル・グスマンが逮捕され、組織は大きな打撃を受けました。


フジモリ政権はゲリラ掃討に成功したものの、その過程で多くの人権侵害が報告されました。また、フジモリ自身も独裁的な手法や汚職で批判を浴び、最終的には失脚しました。

現在のペルーは民主主義体制に基づいていますが、過去のゲリラ闘争が残した社会的分断や、インフラや教育、経済面での地方と都市の格差など、多くの課題が依然として存在しています。

ひろゆきさんと東出さんが旅した地

トゥンベス (Tumbes)

photo by Evelyn Céspedes on Unsplash

エクアドルとの国境付近にある、ピウラ行きのバスに乗るために乗合バスで訪れた街です。ぼったくりの様子が度々見られ、エクアドル編との違いを感じられる街でした。

ピウラ (Piura)

photo by michilotperu on Pixabay

ピウラは人口約48万人、ペルーで7番目に大きい街です。一年を通して平均気温が約30度と亜熱帯気候の都市で、休暇やサーフィンのためのビーチのある旅行先として国内で人気があります。

ふたりがセビーチェのリベンジをしたレストランはこちら

ひろゆきさんが「booking.com事件」を起こした宿はこちら

朝出発したバスターミナルはこちら

トルヒーヨ (Trujillo)

トルヒーヨは人口約87万人のペルー第三の都市です。平均気温が21度で「常春の街」と言われており、10月上旬には「International Spring Festival」が開催されており、祭りの期間は世界中から観光客が訪れます。

街で知り合った日本人のたこ焼き屋さん・工藤さんが経営しているカフェはこちら

工藤さん家族と食事にきたレストランはこちら

ワラス (Huaraz)

photo by jvidalore on Pixabay

トルヒーヨからバスで10時間かけて訪れた街です。

ワラスはアンデス山脈・熱帯の氷河ワスカランの麓にある人口12万人、標高は3,052mの高山都市です。周りを山と草原に囲まれた谷にあります。山岳地帯なのでトルヒーヨとは異なり気温は下がり、年間を通して平均気温は22度程度です。

ふたりが宿泊した宿はこちら

若者のダンス練習を見て、オスカルくんと出会った広場はこちら

朝買い出しに行った市場はこちら

チャンコスの洞窟にあるインカの温泉はこちら

クイ(食用ネズミ)を食べに訪れたレストランはこちら。パチャマンカというペルーの蒸し料理の作り方も見せてもらっていました。

オスカルくん行きつけのディスコはこちら

リマ (Lima)

photo by Patricia van den Berg on Pixabay

リマはペルーの首都で人口1000万人超のペルー最大都市です。

年間を通してほとんど雨が降らない乾燥砂漠地帯で気候が安定しており、ワラスとは異なり標高は0mです。

リマの歴史地区は世界遺産に登録されています。

ふたりが宿泊した宿はこちら

岩場を1時間ほど登った先にある「恥の壁」はこちら。

壁の西側の高級住宅街「カスアリーナス地区」と東側の貧困街「パンプローナアルタ地区」を分けるために造られた壁です。1980年代〜90年代に活動した左翼ゲリラによる地方の混乱に乗じて行き場を失った人たちが都市部に流入し、山間部に定着しました。富裕層側は不法占拠による不平等さを訴えていますが、2023年の裁判では差別が認められ、壁の一部が撤去されています。

イカ (Ica)

photo by Celso Velarde on Pixabay

リマからバスで4,5時間ほどの距離にあるイカ(イーカ)は人口約31万人の街です。

晴天の日が多く、「太陽の地」と呼ばれています。農業が盛んで、オリーブやブドウ、アスパラガスを生産しています。2007年のペルー大地震では甚大な被害を受けた街のひとつです。

ふたりが宿泊した宿はこちら

タクシーの運転手兼観光ガイドのアレハンドロさんとロモ・サルタードを食べたレストランはここ

朝食でパパレジェーナ(ペルーのコロッケ)とカウサレジェーナ(ペルーのポテトサラダ)を食べたレストラン「Mama tina」はgoogleに情報ありませんでした。

ふたりが砂漠ツアーで連れてきてもらったオアシスはこちら。サンドバギーの旅行会社は特定できませんでしたが、砂漠近くに業者が数件あるようです。

カマナ (Camaná)

photo by Amilcar Alvarez Garcia on Unsplash

イカからバスで10時間かけてきたカマナは人口約4万人の街です。

深夜前に到着し早朝に出発してしまったので取れ高はあまりありませんでした。

ふたりが宿泊した宿はこちら

プーノ (Puno) / ウロス島

photo by Monica Volpin on Pixabay

アレキパを経由して訪れたプーノは海抜3819mの高山都市です。富士山よりも高い場所に位置するこの街は人口12万人ほどですが、国内でも外国人観光客が4番目に多い街です。

チチカカ湖は世界で最も高い位置にある湖で、藁でできた浮島が多く存在しています。

カサニ (Kasani)

ボリビアとの国境沿いの街です。

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