【パラグアイ】「世界の果てに、東出・ひろゆき置いてきた season2」のルート!パラグアイ&ちょこっとブラジル編

パラグアイ

このページでは「世界の果てに、東出・ひろゆき置いてきた」で巡った街や訪れた場所を徹底調査してご紹介しています!

世界の果てに、東出・ひろゆき置いてきた」とは?

abemaで放送されているトラベル・バラエティ番組です。「日本一ロジカルな男」ひろゆきさんと、「人たらしな狩猟俳優」東出昌大さんが、所持金10万円、移動は陸路のみなどのルールを守りながらゴール地点を目指します。道中のトラブル、現地の人との交流、ディレクターの豊川さんとのやりとりなどにより緊張、笑い、感動が交叉する人気番組です。

パラグアイ基本情報

photo by Claudia Maldonado on Pixabay
首都:アスンシオン
人口:713万人
面積:406,752km2
民族:メスティーソ(混血)90%
宗教:ローマ・カトリック90%

パラグアイでは農業(特に大豆生産)と水力発電が経済の中心となっています。

パラグアイはスペイン語とグアラニー語が公用語で、二言語併用が一般的です。グアラニー語はこの地に先住するグアラニー族の言葉ですが、混血が進み純粋なグアラニー族はほとんどいないそうです。

国名はグアラニー語で「豊かな水量」を意味しています。その名の通り、水力発電で電力を100%まかなえており、水力発電は余った電力をブラジルに売っています。

著者
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個人的にサッカーの伝説のゴールキーパー・チラベルトのイメージがすごく強い・・・

1分でわかるパラグアイの歴史

パラグアイにはヨーロッパ人が到達する前、グアラニー族をはじめとする先住民が住んでいました。
グアラニー族は農耕や狩猟採集を行い、豊かな言語と文化を発展させていました。

1537年、スペイン人探検家が現在のアスンシオンの地を発見し、入植地を設立しました。

アスンシオンは「南米の母」と呼ばれ、地域の統治の中心となりました。

イエズス会による宗教伝道(1609年~1767年)が行われ、先住民社会の保護と教育が進められました。

1811年、パラグアイはスペインからの独立を宣言しました。独立後、政治的に孤立した状況で独自の道を模索しました。

しかし南米の覇権をかけたアルゼンチンとブラジルに挟まれて緊張状態にあったパラグアイが、ウルグアイ(ブラジル派とパラグアイ派の対立)の内戦を引き金にブラジルへ攻撃をしかけます。

パラグアイはこのパラグアイ戦争(三国同盟戦争)(1864年~1870年)でブラジル、アルゼンチン、ウルグアイと戦い、この戦争で人口の半数以上を失い、国土と経済が大打撃を受けました

この戦争は南米で最も凄惨な武力衝突と言われています。戦後は長い復興の時期を迎えました。

チャコ戦争(1932年~1935年)ではボリビアに勝利し、グランチャコ地方の領有を確定させました。

1954年から1989年まで、アルフレド・ストロエスネル大統領による軍事独裁が続き、西側よりの政策が打ち出され、世界最大の水力発電所の建設などにより経済的な安定をもたらしました。

一方債務増大や83年ごろからの経済停滞、汚職や政治腐敗に不満を持つ人が増え、1989年にクーデターが起こり、民主化が進みました。

民主化以降、経済改革と社会発展に取り組んでいますが、汚職や経済的不平等などの課題が残っています。

ひろゆきさんと東出さんが旅した地

アスンシオン (Asunción)

photo by Unsplash on André Piske

パラグアイの首都アスンシオンは南米で最も古い都市のひとつと言われており、歴史的建造物が多く現存する街です。

人口は約55万人ですが、周辺の首都圏を合わせると約230万人となり、国民の約3割がアスンシオン周辺で生活をしています。

アスンシオンは夏は非常に蒸し暑く、冬でも平均気温が13度程度とあまり寒くならない温暖湿潤気候と熱帯気候の境界線に位置しています。

夕食をとり東出さんの喜びの報告を聞いたバーベキュー店「バー インテル」はみつかりませんでしたが、下記レストランの隣にあると思われます

ふたりが宿泊した宿はこちら。プールで楽しんでローカルテレビ局の取材を受けていましたね。

イグアス (コロニア イグアス)(Yguazú)

日系移民によって設立されたパラグアイの地区です。

この地区は日本とパラグアイの移住協定により1961年に設立され、当初はJICAによって運営されていました。

原始林だった森を切り倒し焼き、ゼロから農業をスタートさせた当時の移民は、パラグアイの食卓にそれまであがることが少なかった野菜を供給するようになり、パラグアイの農業の発展に大きく寄与しました。

移民の活躍により、現在日本が輸入する白ごまの50%以上はパラグアイからの輸入しています。

またパラグアイの食糧自給率は340%と高く、輸出の84%を占めています。農業大国ですね。

著者
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日本人、日系人の活躍が素晴らしいですね!

ふたりが宿泊した日本人宿はこちら

イグアス日本人会はこちら

買い出しに訪れたスーパーはこちら

桜を記念植樹した公園はこちら

シウダード・デル・エステ (Ciudad del Este)

photo by Maurício Guardiano on Unsplash

シウダー・デル・エステ(シウダード・デル・エステ)はブラジルとの国境に近い都市です。経済成長が著しくパラグアイ第二の都市とされており、約22万人の人が住んでいます。

世界最大級の水力発電所の1つであり、ブラジルとの国境を流れるパラナ川にあるイタイプ・ダム(Itaipu Dam)はシウダー・デル・エステの近くにあります。

「南米の秋葉原」とも呼ばれる電気街としても有名で、あらゆる電化製品を扱うお店が所狭しと並んでいます。

ひろゆきさんが最終日に宿泊した宿はこちら

イグアスの滝(ブラジル)

photo by Nancy Martinez on Pixabay

イグアスの滝はブラジルとアルゼンチンの国境に跨る世界最大の滝で、世界三大瀑布のひとつとされています。

落差は最大80mでヴィクトリアの滝(ザンビア・ジンバブエ間)より26mほど短いものの、水量は8倍の約40億トン/分圧倒的な一位で他に類を見ない規模の滝です。

イグアス (Iguazu) とは先住民のグアラニ族の言葉で大いなる水 (Y Guazú)という意味からきています。

シュラスコを食べたお店はこちら

東出さんが宿泊したホテルはこちら

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